⑦.日本の中の朝鮮文化 3 (金達寿)


昭和47年 講談社  (きむ たるす)

小説家。1919年朝鮮慶尚南道生まれ。1930年日本に移住。著書に「後裔の街」、「玄海灘」、「朴達の裁判」「太白山脈」など。このシリーズでは朝鮮と日本の民族的関係を追究した。

この本を見て驚いたことが2つあった。一つは酒の席での話ではあるが石位寺の石仏を買い取るという話。酒の席とはいえ、あってはならない話。あと一つは井上靖、石位寺来訪時の話をずっと聞きたかったが・・なんとここで紹介されてました。それでは本文の一部を紹介します。

 

「・・・それからこんどは、石位寺であった。入江泰吉・嵯峨崎四郎「大和路の石仏』にこうある。 ごみごみした長屋から美人が出でくると″ゴミ溜めから鶴”という表現を、よく使う。 無住寺かと思うような石位寺に、日本石仏のトップ、白鳳期の三尊石仏を見出したとき、 そんな諺が浮かんでくる。純白というより青味を帯びた滑めらかな石、昔の人は大理石といい、朝鮮伝来の名石といい 伝えた。口唇のあたり、左脇仏の裾に、台座の花弁に、ほのかにのこる赤い色、魅惑のほか言葉を失う。石位寺は万葉の故地桜井市忍阪の出端にある。


 ここで一つハジをさらすが、私は右のこれを読んて、大きな失敗をしたことがあるのを思いだす。もう、何年ぐらいまえのことであろうか、京都で雑誌『日本のなかの朝鮮文化』をだしている鄭詔文が、これは近代になってから、いまもなおこの日本へとながれ出てきている朝鮮の陶磁器や絵画などを、ムリしながら買いはじめためたころのことであった。京祁へ行ったときの酒の席でのこと、「日本石仏のトップ、白鳳期の三尊仏」というものがどういうことてあるかも知らず、ただ、「朝鮮伝来の名石」というところだけに目をやって、私は鄭詔文にしきりとこの石仏を買おうじゃないか、とすすめたものだった。陶磁器でもものによっては数十万、数百万するのが珍しくなかったから、そのつもりなら、「無住かと思うような石位寺」のそれも、もしかしたら買えるのではないかと思ったのである。さすがに鄭詔文は笑ってとりあわなかったが、それからのち桜井市忍阪の石位寺をたずねてみて、私はびっくりしてしまった。石位寺はなるほど無住のような荒れ寺だったけれども、なかに安置されている三体の石仏は、しばらくまえまでは日本国宝だったもので、いまも重要文化財となっているものだった。酒のうえだったとはいえ、それを買おうなどといったのだから、こんな無茶なはなしはなかった。
 三体の石仏はそんなに大きくもない石に浮彫りとなっているもので、なるほど「魅惑のほか言葉を失う」というのは、けっして訪張ではなかった。以来、私はまた何度かこの石位寺をおとずれているが、この石仏だけはいつみても美しい、いい、と思わないわけにゆかない。ただ、美しい、いい、というだけではなかった。そのうえさらにまた、なんともいえず可愛いのである。ぽちゃっとした少年のようなそれで、これはどちらかといえば、朝鮮でも新羅系のものではないかと思われるが、さいきんたまたま、井上靖「美しきものとの出会い」をみると、氏もおなじようなことを書いている。
 

井上氏の「美しきものとの出会い」は「文芸春秋』に連載されたもので、一九七二年三月号が最終回であった。この分に石位寺の石仏との「出会い」があって、こうなっている。翌目もまた天気に恵まれたのか博物館と宝物館の方は次の機会のこととして、以前から見たいと思っていた桜井市忍阪の石位寺の石仏を見に行った。三十段はどの急な石段を上がると、小さい堂宇があり、その中に石仏は収められてあった。高さ1.15メートル、幅1.5メートル、底辺1.21メートルのまるみのある三角状の砂岩に、三体仏像が※3センチの厚さで半肉彫りされてあった。古さというものを少しも感じさせない、きちんとまとまった三体の仏像のレリーフである。
石面もよく整えられ、まるできのう刻まれたといっても通りそうな、そんな新しさであった。本尊は正座に腰かけており、左右の脇士はいずれも立像で、合掌している。白凰時代の作といわれており、それに誤りがないなら、わが国に現在あるあまり数の多くない石仏の中ては一番古いものということになる。本尊は微かな笑いを口もとに漂わせ、口唇には僅かに口紅がさされている。釈迦とか弥勒とかいう説もあるが、寺伝では薬師如来ということになっていると言う。この三尊の浮彫りを眼にした時、私にすぐ去年の十一月に訪ねた韓国慶州の石窟庵の仏さまたちを思い出した。どこが似通っているか、専門家てない私には判らないが、何となく同じろうろうとしたものが三尊の表情からも、姿態からも受けとれたのである。暗いところもじめじめしたところも、取り分け森厳といったところもない。それていて、清らかで尊い感じである。この三尊仏が大陸から渡ってきたものかわが国において造られたものか知らないが、ともかく犬陸風とでも言うべきものなのであろう。老いた感じはなく、初々しい仏さまたちである。」  ※30センチの間違いと思われます(正確には34センチ)