⑨万葉のいぶき 犬養 孝


昭和58年発行(新潮社)

万葉学者の犬養孝は忍阪をこよなく愛した方ですが改めてこの名文を読み返してみると忍阪に対する深い思い入れが感じられます。この辺りは小字名は奥の谷で今も万葉の世界がそのまま残っています。以下本書より抜粋。

         
秋山の 樹の下隠り 逝く水の われこそ益さめ 御思よりは (巻2ー92)
 

作者の鏡王女は一般には額田王の姉といわれていますが、はっきりとはわかりません。この方ははじめ天智天皇に愛されたらしいが、その後、藤原鎌足の正室になった人です。この歌は、天智天皇が鏡王女に恋の歌をおくったのに対し答えたものです。

 

秋になるともみじもし、落葉もします。そしてその落葉の下に表からは見えないけれど、実に清らかな水がさらさらと流れている、というような場面は、秋の山を散歩すると時々見る風景ですね。でこの歌は、表からは見えないけれど、秋山の木の下に隠れて流れてゆく水、実はその水のように私の恋心はあなたに深く想いを寄せています」

というのです。

 

ここで、私は、その水のようにというように説明しましたが、これは説明のためにつかっただけなんです。この歌そのものは「秋山の木の下隠り 逝く水の」が、 そのまま”私の心”になっているのです。これがこの歌のすぐれたところですね。 すなわち、落葉がいっぱいあって上から見ると水が流れているとも何ともわからない。 けれどもよく見ると、落葉の下にコンコンと冷たいすきとおった水が流れてやまない、それが私の恋心だ、ということですね。 この歌にも鏡王女の性格がよく出ているようです。派手に愛情を披瀝するのではなく、深く胸の内に思い込んで、内に秘めて愛情を吐露していく、そういうような人ではないでしょうか。この歌は非常に静かに愛をたたえて、そして深くその愛情を打ち出していくような歌ですね。

 

この方のお墓は桜井市忍坂山の南西麓にあります。ここがまたたいへんよいところなんです。たいていの方は忍坂の舒明天皇の御陵にはお参りしますが、それで帰ってしまいます。ところが、舒明天皇の御陵の前の細道を思い切って入って行ってごらんなさい。そうすると歩いて行く道の右側のところに実にきれいな水が流れています。そこの流れのかたわらに、最近、桜井市が、万葉歌碑を建てて、わたくしがこの歌をしたためました。秋に行きますと、流れは落葉に埋もれて、水の音だけがチョロチョロチョロと聞こえるだけです。そして、山ぶところに入ると山にかこまれたちょうど土俵みたいなところに鏡王女押坂墓があります。そしてこの一角は奈良県の中でも珍しい自然の山だけで、家が一軒もありません。そうした自然に囲まれて、みごとな歌を詠んだ鏡王女が、眠つておられるわけです。そこには大きな松が十九本あります。そしてそこにじつとしていると蕭々として松籟が響き、何となく鏡王女の声が聞こえてくるようです。