⑭明日香風


昭和57年11月発行 財団法人飛鳥保存財団

 

季刊「明日香風」の「秋」号の中に武庫川女子大学教授の高田昇氏が「万葉歌碑に思う」と題し寄稿されています。氏はこの中で感動を与えてくれる歌碑の条件として第一には、万葉歌碑に相応しい場所の選択がその感動を大きく左右することを見逃すわけにはいかない。更にその碑の形状、文字などの選択がその功罪をになうものであることも否めない。この三者が一体となって、美しい協和音を奏でる時、はじめてその碑は人の心を強くうち、その歌が万葉の息吹を蘇らせて、我々の心に切々と迫って来るのである。・・・と述べ感動を与えてくれた歌碑を3基あげられていますが、その一基として忍阪の万葉歌碑をあげられています。(以下、原文)

 

 忍坂の舒明陵のすぐ南すそに、山あいを廻って鏡王女の墓へ通じる小路がある。その脇の崖っぷちを小さな流れが走りおちているが、その流れを前にして、かわいい自然石の碑が水辺の草に囲まれてもの静かに置かれている。これが鏡王女の碑だ。あたりはうす暗く、しかも路より大分下にあるので、うっかりすると気づかずに通り過ぎてしまいそうな、そんな目立だない歌碑である。

 

わたしはこのいかにもつつましやかな碑が大好きだ。この碑は王女の墓のすぐそばにれいれいしく建てられたりはしなかった。

 

この碑に最も 必要なものはこの小さな流れだったのだ。われわれはここにしゃがんでこの碑の歌を口ずさむ時、静寂の中に単調な響きをたてて流れる水音をも同時に味わっていることに気づかないかもしれない。

 

しかしその音がこの歌の序をそのまま奏でつつ、王女の思いをよりいっそう具体化して見せるのである。更に崖下の木々の小枝に覆われたうす暗い光の調子を 見のがしてはならない。これがこの碑の目だたない大きさと調和して、この歌の情趣を心にくいまで表現してくれる。

 

前に述べたご三要素が完全なまでに整った歌碑の一つであると言ってよい。机上のテキストを読むのと比較するまでもなく、この碑を前にしてよむ歌はわれわれを遠く過ぎ去った万葉の時間の中にひきもどしてくれるのを実感する。