③大和の石仏 (清水俊明)


昭和49年発行 創元社

 

著者の清水俊明(しゅんみょう)は、この本の紹介の中に昭和5年生まれ、木彫家、奈良石仏会主幹、大和郡山市在住で大和の石仏を中心に沢山の著書あり。この本の表紙がなんと石位寺の三尊石仏というのがまずうれしい!著者のこの石仏へのおもいが伝わってくるような気がします。ではその一節をご紹介!

「桜井から初瀬への道を外山で別れ、右に、大宇陀の町に向かう道をとり、しばらく行くと左手低い丘陵の裾に、忍坂の家なみが見えてくる。石位寺は集落の南端、小高い所に建っていて、四間四方の薬師堂がぽつんと建つだけのわびしい寺だがこの堂内の厨子にわが国で最も古く、かつすぐれた三尊石仏が安置されている。

 

三尊仏は高さ幅ともに約1.2mの三角状の花崗岩の自然石の表面に高肉彫りされている。中尊は如来で片肌をぬぎ、両手を膝前にて重ねて法界定印を結び、牀座に腰掛けた倚像。後に二重光背を負い、頭上には天蓋を飾っている。左右の脇侍はともに合掌して、頭に三面飾りの宝冠と胸飾りをつけ天衣のすそを左右に流して蓮華座に立っている。牀座・蓮華座をやや上から見おろした形で作り、みごとに立体感を表現している。このような配置と構図は、奈良時代の前期に流行した金銅押出仏の形式を応用したものだ。 

この石仏の魅力は三尊の美しい顔にある。微笑を浮かべた目、小さくひきしまった鼻と口、その口もとには朱の色を少し残して美しく、聖少年のかもかげに接した思いがする。三尊の小柄な顔立ち胸や腕、腹や足もとなどはほどよく肉づけされ、新鮮でみずみずしい童子のような自然美をそなえて脇侍の直立したポーズには、飛鳥仏のなごりを感じるが、飛鳥仏のような古拙的な堅い表現は見られず、童顔と写実的な体躯は、やがて訪れてくる天平写実への開花を待っているような石仏である。自鳳期は石仏にかぎらず、このような美しい仏像が作られた時代だった。

この石仏を、「書紀」に記述されている敏達天皇十三年(584)に鹿深臣が百済より請来した弥勒石像ではないかと推測する人もあるが、私は、その造形と感覚にはわが国独特の個性と自鳳彫刻の特徴が備わっているとみる。わが国で作られた最古の石仏であろう。石位寺では薬師三尊としてまつられて来たが釈迦三尊としても弥勒三尊としてもよい石仏である(重要文化財)。」