⑫奈良の仏像 (中野玄三)


昭和44年(淡交社)

この本の表紙は中野玄三、井上靖による共著のような体裁でありますが井上靖は巻頭の文を書いてるだけで中身は中野玄三が出筆していると思われます。それはともかく石位寺の薬師三尊石仏について興味深い説が紹介されていますのでご参考までに・・・中野玄三は美術史学者、1924年佐賀県生まれ、京都大学文学部卒、当時奈良国立博物館文部技官。

 

石位寺を以下のように紹介されています。
 「重文 浮彫り薬師三尊像  石位寺 」 
半円に近い形をした石に、腹の下で両手を重ね、椅子に腰かけた如来を中心とし、その左右に合掌して侍立する両菩薩を配した三尊を彫刻しているが、何仏をあらわすかはっきりしない。子供のようにあどけない顔や柔ら かそうな体、それに薄い衣を透して、体がすけてみえる表現法など、白鳳彫刻の特色がよくあらわれている。

 

古くから屋内に安置されていたためか、保存状態がきわめてよく、このわが国最古の石仏の価値をいっそう高めている。 この三尊を、敏達天皇十三年(五八四)九月に鹿深臣(かふかのおみ)が百済から請来した弥勒の石像にあたるのでないかと考える人もいる。この弥勒の石像ははじめ蘇我馬子が司馬達止(しばたつと)の娘善信尼たちに祀らせたが、のちに飛鳥寺に移り、さらに平城遷都にあたって元興寺に移り、その東金堂に安置されていた。それが康保年間(九六四~八)に多武峯の僧兵に奪い去られて、鎌倉末期までは多武峯にあったことが確認できるが、この後行方不明になったと伝えている。

 

その像がすなわちこの石位寺の三尊なのだろうという推測である。これが事実とすれば、文献の記述と一致するたいへん興味深い仏像ということになるが、この像を六世紀の百済の仏像と考えるのは、その様式からみて無理だろう。