万葉学者の犬養孝さんは、この場所に立って著書「万葉とともに」でこう記されています。
「・・・やや高みのところに欽明天皇の皇女、大伴皇女の墓がある。ここから南を振り返れば、中央すぐ下にこんもりとした鏡王女墓をおいて、遠く左手に音羽山のおおきな山塊を、右手には多武峰の山容をのぞみ、こんにちの大和では珍しく、ただ一軒の家もなしに、晩秋もみじの頃など、四周は黄に褐色して紅に染められて、満山椒として声なしといってよい。静寂の山ぶところとなるのである。将来はわからないにしても、せめてこのやまぶところの静けさだけでも、この国の未来にかけてこのまま残っていってほしいものである。そこには千三百年の声々が、心と言葉の美しさに昇華してまざまざと生きづいているのだから」
大伴皇女墓については「大和の古墳探索」で、詳細にご紹介しております。あわせてご覧ください。