粟原寺跡


粟原寺は桜井市の東部、竜門山塊の北麓に位置し集落の南側にある天満宮の裏手のやや高い場所にあります。塔跡などの礎石が残っていますが発掘調査は行われておらず伽藍配置など詳細は不明です。

 

【画面クリックで拡大します】
【画面クリックで拡大します】

塔跡にある心礎(直径約61cm、深さ15cm)はすでに原位置を保っていませんが周囲の四天柱・側柱の礎石は原位置を保っており塔の一辺は約6mと思われます。この塔跡の東側にも礎石が並べられていますが、これらは現在十三重石塔の建っているあたりから移されたものです。また塔の西側の十三重石塔付近には道路で寸断されてますが金堂跡と推定されるところがあり3、4個の礎石を残しています。

 

大正15年(1926年)に内務省による実測調査のみ行われています。境内で出土する瓦は本薬師寺(698年にほぼ完成)に近いと云われています。

現況だけでは国史跡に指定されるほどのものではないと思うのですが、この寺跡が何故、国史跡になっているのか・・それは、この寺の由緒がはっきりしているからなのです。

 

談山神社所蔵の粟原寺の相輪の一部の伏鉢には印刻された銘文があり願主や建立年代、造営過程など寺の由緒を知ることが出来るのです。大変、貴重なもので1902.04.17(明治35)に国宝に指定されています。