宗像神社  (外山)


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鳥見山の北麓に鎮座し宗像三神(多紀理毘売命、市杵島比売命、田寸津比売命)を祭神とする宗像神社は天武天皇の御子・高市皇子が母親の胸形(むなかた)尼子娘の実家(筑前・現福岡県)の氏神である宗像三神を祀ったのが始まりといわれています。

 

その後、祭祀を司ってきた高市皇子の後裔・高階義岑が南北朝の争いの際に南朝に味方し戦ったが当時鳥見山の中腹にあった宗像神社は兵火で焼失し小祠だけとなり興福寺の支配下になり名前も春日神社となりました。 以降、神社は荒廃の一途を辿ったようであるが、正平九年(1354年)高階忠正は神霊を自邸に移し中島弁財天と称しました。嘉永7年当地を訪ねた幕末の国学者、鈴木重胤は玉井氏(高階氏と同様、高市皇子の後裔)の庭園に祀られていた中島弁財天を知り、克明に伝承や民間信仰を調査し中島とは宗像中津島との繋がり、弁財は神仏習合に女神宗像神と考え宗像三神の再興に務めました。そして安政6年(1875)に改めて筑前の宗像大社から分霊をうけ再興され明治8年に春日神社の社号廃し宗像神社とされました。

 

国史跡の桜井茶臼山古墳から東に向かって約5分、外山(とび)のバス停のすぐそばにあります。近年(平成21年)社殿が建て替えられていますので今ひとつ神々しさは感じられないかもしれませんが由緒のある神社です。