忍坂山口坐神社


粟原川(忍坂川)西岸に鎮座する旧村社で近世には天一(てんいち)明神とよばれていたようです。「大和誌」では当社を「延喜式」神名帳の城上郡の「忍坂山口坐神社」に比定し、式内社として現在に至っています。「桜井風土記」によると延喜式内社は全部で14社あり内13社が県内にあり、なかでも式祝詞に示す飛鳥、石寸、長谷、畝火、耳無、忍坂の6社が最も大切に祀られてきたといいます。現在、境内には拝殿があるのみで神殿はありませんが山を拝する形はとっておらず一説に杉樹をご神体とすると伝えています。

 

またこの神社には楠の大木(桜井市指定文化財)があり、室町時代に金閣寺が造営される際、天井の一枚板として供出されたとの伝承が伝わり、その時、倒した大木の先端部の場所が「木ノ下」として近年、宅地造成されるまで小字して残っていました。(左図は忍阪に伝わる明治時代の古地図です)

また金閣寺に運ぶ際、柳本(天理市)まで運んだが重くて橋を渡れない為、そこで製材し、その残材で橋をかけ渡したという話も伝わっています。 今の楠はその二代目と伝えられ、その大きさには圧倒されます。