②万葉の大和路(犬養孝・入江泰吉)


昭和62年発行(旺文社)

犬養孝(いぬかいたかし)1907年生まれ。1932年東京大学国文学部卒。大阪大学名誉教授(56~70年)文学博士  。長年の万葉集研究の業績から文化功労者に選ばれる。1998年死去。

 

入江泰吉(いりえたいきち)1905年奈良市生まれ。1927年写真家を志し大阪に移り研鑽を積む。1945年奈良に戻り大和路をテーマとした写真を撮り続けた。平成4年に入江泰吉記念奈良市写真美術館オープン。1992年死去。

 

この本の中では「鏡王女墓」が紹介されています。その一節より

 

「大和の万葉故地の中で、どこが一番よいか、人おのおのの好みで定められないが、もっとも静謐、黙っていれば、しんしんと本々が語りかけてくるようなところは、舒明天皇押坂内陵から右手へ小流に沿うて登った鏡王女の墓のある山ぶところの地ではなかろうか。春には桃が咲いているし、晩秋には、鏡王女墓の北を登った、舒明天皇の皇女、人件皇女の墓の前に立てば、家はもちろん一軒もないし、満山寂として声なしを実感する。そこぱ忍坂の山の南側の山ぶところである。 鏡王女の墓はその中央、相撲の土俵のようにまん中にぽこっとある。松が十九本、颯々の音を立てていた。この写真は当時そのままである。いつまでも颯々の音を立てていてほしいと思っていたが、その後、松喰虫で、松はみごと全部枯れ、現在は植林も雑草に覆われる観である。いま宮内庁ではなく談山神社保存会によって管理されている。」・・・

 

と忍阪の小字「奥の谷」の景観を犬養ならではの表現で語っています。松は枯れましたが今も村人たちは、その景観を大切に守り続けています。