私見ですが昭和33年に桜井市から出された「古墳」(小島俊二著)に「忍阪 集落の中央部の小さな川に、古墳関係の石が橋として使用されている。その橋の北側、石垣の基部に、西南に向かって開口する横穴式石室の羨道部とおもわれるものが露出している」との記述があり場所から言えば神籠石の周辺であり横穴式石室の石材(おそらく天井石)が後の時代に転用された可能性も捨て切れません。
(石材が転用された橋は今も現存しています。)
一体誰が何の為に立てたのか?謎の大石です。
皆さんもいろいろ想像をめぐらせてみられてはどうでしょうか?